大洲城の始まりは1331年に宇都宮豊房が城を築いたのが始まりと言われています。廃城令によって1888年に天守は取り壊されましたが、2004年に市民の募金などによりも木造にて復元し、以降大洲市のシンボルとして市民から愛される存在となっています。
2004年に復元された大洲城は、木造にこだわり史実に忠実に再現されています。
日本の伝統技法を用いて復元された天守閣内の木組みは美しく大迫力。
大洲城のスタッフ曰く、「当時のお殿様が見ていた景色をそのまま見れるのが大洲城の良さ」とのこと。
また、四層四階建ての木造天守の復元は日本初であり、最大級の大きさを誇ります。
これには江戸期に作られた天守の内部構造の分かる木組みのひな型や、天守解体前に撮影された大洲城の古写真など、復元するには十分なほど資料が残っていたことが背景にありました。
天守閣は木造で復元されていますが、両脇の”台所櫓(だいどころやぐら)”と”高欄櫓(こうらんやぐら)”は当時のものが残る現存の櫓です。
台所櫓は1859年、高欄櫓は1860年に建てられ、これらは国の重要文化財に指定されています。
また、復元された天守各は美しく新しい木で建てられているのに対し、櫓は古く時代を感じる木が残っています。
これらを見比べ、時代の流れを感じるのも大洲城の楽しみかたの1つです。
大洲城は日本初の泊まれるお城としても有名です。
“大洲城キャッスルステイ”は、夕刻になると法螺貝の音が大洲城に鳴り響き、当時のお殿様の入城シーンを再現した城主体験から始まります。
その後は大洲が誇る伝統芸能や鉄砲隊による歓迎の祝砲などを鑑賞し、地元の食材をふんだんに使用したディナーに堪能します。
夜になると誰もいない天守を貸し切り、ゆっくりと眠りにつくことができます。
大洲随一の景勝地に立つ臥龍山荘は、木蝋貿易で財を成した河内寅次郎が構想10年をかけて建設しました。日本の茶の湯文化を守るために作られたこの山荘は、日本の美が宿る数寄屋建築(茶室の意匠を取り入れた日本の伝統的な建築様式)の傑作となっています。
臥龍山荘は桂離宮や修学院離宮などの建築や日本庭園を参考に、細やかな技と美意識が詰められています。
材料の精選、着想の秀抜、加えて名工の卓越した技術が相まって里には稀な名建築となっています。
臥龍院と呼ばれる建物の”清吹の間”は北向きで風通しがよく、天井は他よりも高く、涼しさを感じさせる細工が随所に見られます。
桜の花に筏で春、右側には水玉で夏、左側の”壱是の間”との間の欄間には菊水で秋、仏間のと間には雪輪窓で冬と、それぞれ水にちなんだ彫刻がなされています。
“不老庵”と呼ばれる建物は大洲を流れる肱川のすぐそばに建てられた懸造り建築です。(京都・清水寺のような崖に沿うように建てられた建築)
建物そのものを舟に見立てて作られており、天井は船底のような形にしてあります。
対岸からは月が昇り、月明かりが天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。
また、不老庵の裏を見ると、生きた木を柱に用いた「捨て柱」とよばれる手法を見ることもできます。
入口を入ったところの石垣にも様々な趣向が凝らされています。
「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化を持たせた石積みの中に生きた木が生え、自然と人工の共存を感じさせてくれます。
また、石垣の中に埋め込まれた石臼は月、その少し先には舟を模した石が積んであり、遊び心を感じることができます。
盤泉荘はフィリピンでの貿易で財を成した松井傳三郎と國五郎によって1926年に建てられた国際色豊かな名建築です。松井兄弟はフィリピンのマニラにて日本人移民向けの百貨店も経営するなど貿易・小売業で大きな財を成し、故郷の大洲に別荘を建築しようとの想いで建てられた建築です。そしてこの盤泉荘には、海外で活躍した2人を象徴するような、国際色豊かな工夫が施されています。
盤泉荘の特徴は何といっても国際色溢れる細かい工夫。
廊下にはフィリピン産を原産とする南洋材イピールを用いた長大な一枚板が20枚連続し、また全ての鬼瓦には松井國五郎のイニシャル「K・M」が刻まれています。
2階には当時の日本家屋には珍しいバルコニーがあり、ここでは一般の観覧客もゆっくりとした時間を過ごすことがができます。
商人であった松井兄弟らしく、敷地内には様々な縁起の良い動物の置物が置かれています。
「他を抜く」という意味合いがあるタヌキや、8本足で末広がりであることや「多幸」と当て字できるタコ、長寿や縁起を象徴する鶴や亀など、随所に隠れた縁起の良い動物を探すのも、盤泉荘の愉しみ方の1つです。
盤泉荘の由来は裏山の岩盤からしみ出す水を利用していたこと名付けられました。
盤泉荘にある横井戸は奥に向けて50m以上掘られており、井戸の奥から流れ込んできた水が、台所に設けられた貯水槽に送られる仕組みになっています。
これは上水道が整備されていない時代に生活用水を確保するために整備されたもので、この水の確保があったからこそ盤泉荘は建築されたと推察されています。
大洲市では近年の人口減少に伴い空き家が増加し歴史的な町並みを維持するのが困難な状況に陥っていました。そこで大洲市では行政や銀行、民間団体の協力などで古民家を改修し、放置されていた空きやを見事に蘇らせ、ホテルやショップとして活用したのです。
再生した古民家を活用したショップには地元のものを使用したランチやスイーツ、クラフトなど地域に根差す様々な店舗が軒を連ねます。
2020年には空き家をホテルの客室として改装した日本最大級の分散型ホテル「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」が開業。
城下町全体をホテルとみなし、滞在を通じて町を回遊することで大洲の歴史や文化、くらしに触れることができる新しい旅の形をデザインされています。
また、かつての城下町の町家は一階が商店、二回が住居として使われていたように、「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」でも多くの建物が一階を古民家ショップ、二階をホテルの客室として利用しています。