松井傳三郎(1870~1920)・國五郎(1875~1945)兄弟は、マニラで貿易会社を経営し、日本人移民向けの百貨店も経営するなど貿易・小売業で大きな財を成した。盤泉荘(旧松井家住宅)は、傳三郎が故郷の大洲に別荘を建築しようと計画し、その遺志を継いだ國五郎が大正15(1926)年に完成させた。住宅は、肱川随一の景勝地と称された臥龍や冨士山、亀山など自然豊かな景観を見渡す高台に立地する。建材には東南アジアから輸入された南洋材が使用されているほか、当時の日本家屋には珍しいバルコニーや施主のイニシャル「K. M」がデザインされた鬼瓦が採用されるなど、貿易業を営んだ施主らしい国際性豊かな特徴を随所に見ることができる。裏山の岩盤からしみ出す水を利用していたことから「盤泉荘」とも呼ばれた。
高台の急斜面からせり出すように建つ木造3階建の荘厳な姿は、建築当初から地域の代表的なランドマークとして存在し続けており、現在の町並みの景観形成においても貴重な存在である。また、象徴的な石積みは、現地周辺で切り出した石をX状にリズミカルに積み上げる独特のもの。主屋との一体感を持たせており、デザイン性が高い。
前庭には、新やなせ焼のライオンの像が置かれている。新やなせ焼は、かつて江戸中期にできた柳瀬焼が廃絶後、大正10年に大洲の有志数名の発起で復興されたやきものだ。
フィリピン等を原産とし、その重さや硬さから「太平洋鉄木」と称される南洋材イピール。その木材を丁寧に仕上げた長大な一枚板が20枚連続する廊下は、客人を座敷・客間・茶室へと誘うレッドカーペット。客人用の動線と日常生活の動線の区別は一目瞭然で、一枚板の連続に対して小幅な床板となっている。
高い天井に筬欄間、無節の檜材に黒漆塗で仕上げられた床框・違い棚・付書院に見られるのは、簡潔でありながら荘厳な座敷飾り。非常に格式の高い伝統的書院造の形を表している。
茶室は、網代建具や赤松皮付床柱、舟板の古材を使うなど、手の込んだ細工がみられ、浴室には、大正年間には珍しい女性への配慮(入浴後、客人の前に出る前に整えられる)が感じられる。
奥に向けて50m以上掘られており、井戸の奥から流れ込んできた水が、台所に設けられた貯水槽に送られる仕組みになっている。これは上水道が整備されていない大正期に生活用水を確保するために整備されたもので、この水の確保があったからこそ盤泉荘は建築されたと推察される。
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